紅の薔薇
2010年5月21日コメント (702)
濃き紅の薔薇あらはれる 行き止まり
近所の公園には、かなり広いバラ園があって、今、まさに満開である。
多くの人が訪れて、お弁当を広げたり、写真を撮ったり。
保育園の子供たちが大勢で遊びまわり、犬たちが互いに鼻をくんくんさせる挨拶を交わし、カラスもスズメもツバメも、子育てに忙しい。
わたしは、ゆっくりベビーカーを押しながら、薔薇の間を巡る。
育児休業中に失業するかもしれない不安を抱えながら、でも見た目はのんびりと薔薇を見て回る。
しあわせそうに見える人でも、実は困難に見舞われていることがある。
そんなことを思って公園を見渡すと、日の光に揺れる薔薇たちの華やぎが、いっそうまぶしく感じられる。
色とりどりに咲き誇る薔薇だって、夜来の雨ですぐに散らされてしまうのだが、感情の無い彼らは思い悩むことなく、ただ咲くことができるのだ。
バラ園を吹く風は、甘い。
息子を抱き上げると、乳の匂いが花の香に混じって揺れた。
近所の公園には、かなり広いバラ園があって、今、まさに満開である。
多くの人が訪れて、お弁当を広げたり、写真を撮ったり。
保育園の子供たちが大勢で遊びまわり、犬たちが互いに鼻をくんくんさせる挨拶を交わし、カラスもスズメもツバメも、子育てに忙しい。
わたしは、ゆっくりベビーカーを押しながら、薔薇の間を巡る。
育児休業中に失業するかもしれない不安を抱えながら、でも見た目はのんびりと薔薇を見て回る。
しあわせそうに見える人でも、実は困難に見舞われていることがある。
そんなことを思って公園を見渡すと、日の光に揺れる薔薇たちの華やぎが、いっそうまぶしく感じられる。
色とりどりに咲き誇る薔薇だって、夜来の雨ですぐに散らされてしまうのだが、感情の無い彼らは思い悩むことなく、ただ咲くことができるのだ。
バラ園を吹く風は、甘い。
息子を抱き上げると、乳の匂いが花の香に混じって揺れた。
葉桜や 公園のまた静かなり
おそらく日本じゅうのどこの町にも桜の名所はあるものだが、その公園もそういった場所である。
幹線道路を数十メートル入った住宅街の一角にある、とても小さな児童公園で、すべりだいとかぶらんことか砂場とかが、ちまちまと置かれている。
幼児が遊ぶのにはじゅうぶんな広さだが、小中学生にはもの足りない、という感じ。禁じられているわけではないが、ボール遊びは狭くてつまらないだろう。
その公園をぐるりと囲むように、桜の木が植えられている。
そんなに多くの木があるわけではないのに、花の季節には、敷地の上にうすぼんやりと桃色の雲がかかったみたいに見える。
花の盛りの週末に、公園の隅で近所のおじいさんが二人、椅子を持ってきて座っているのを見かけた。足元にはブルーのシートが大きく広げられていて、トランジスタラジオからAM番組が小さく流れている。
正午すぎであったが、二人のおじいさんは満開の桜の下でお弁当を広げるでもなく、ただ無口で座っていた。
お花見の場所取りをしているのだろう。シートは二人分では広すぎる。
おそらく、夕方になって勤めに出ている人たちが帰って来たら、そこで宴会が行われるのだろう。おじいさんたちは、「良い場所」を日中のうちに確保するために、今からそこにいるのだ。
わたしは、ベビーカーを押して買い物の帰り道だった。
これから、小学生と中学生の娘たちにお昼ご飯を作らねばならない。
中学生の娘は部活見学に行きたいそうだし、その時間に間に合うように、それから、末っ子にも離乳食を食べさせておかなくては。
一分の時間でも惜しいようなどたばたの中で、桜の下で何をするでもなく座り込んでいる人たちの、なんとうらやましいこと。
退屈そうではあるけれど。
宴会を「待つ」身と考えれば、それはとても無為な時間、
でも、桜の花たちと一緒に日が高くなり、また暮れていく時間をのんびりと過ごせると考えれば、なんて贅沢な時間なのだろう。
今日は一日じゅう雨だった。
桜の木々は、桜蕊を地面に散らしながら、青葉を雨に洗われている。
花見の季節は終わり、公園からハレの日は遠のいた。
いつか、年老いたらわたしも日がな一日、何時間もゆらゆらと桜の下で過ごしてみたい。
できたらそのまま息絶えたり・・・
あ、そんなことになったら後から来た人たちは花見ができないか。
隠しごと こぼるるごとく 薔薇の咲く
喧嘩するたびに、彼は薔薇をくれる。
言い争ったときには一言も謝らずに、ぷいっと外へ出て行くのに、
帰って来たそのとき、彼の手には、かならず薔薇の花がある。
「ごめんね。」
ひどく腹を立てていたことを忘れて、わたしはまず薔薇を、その次に彼を抱きしめる。
「帰って来てくれてありがとう。」
仲直りの立会役をつとめた薔薇の花は、数日、たいせつに飾られる。
そして、花が終わるとわたしは、花びらたちを外して、集めて、乾かす。
赤、ピンク、黄色・・・
乾いた花びらたちは、今では、ずいぶんとたくさん集まった。
喧嘩の数だけ。
いつか、この花たちをポプリにしよう。
きれいな、すきとおったガラスびんに詰めるのだ。
そうして、年老いたわたしは、笑いながら言うのだ。
「ずいぶんとたくさんの喧嘩をしたことね。」
そのときまで、ずっといっしょにいられますように。
どれほどたくさんの喧嘩をしても、彼が此処へ帰って来てくれますように。