葉桜

2010年4月22日 日常 コメント (4)
葉桜
    
    葉桜や 公園のまた静かなり

  おそらく日本じゅうのどこの町にも桜の名所はあるものだが、その公園もそういった場所である。

  幹線道路を数十メートル入った住宅街の一角にある、とても小さな児童公園で、すべりだいとかぶらんことか砂場とかが、ちまちまと置かれている。
  幼児が遊ぶのにはじゅうぶんな広さだが、小中学生にはもの足りない、という感じ。禁じられているわけではないが、ボール遊びは狭くてつまらないだろう。

  その公園をぐるりと囲むように、桜の木が植えられている。
  そんなに多くの木があるわけではないのに、花の季節には、敷地の上にうすぼんやりと桃色の雲がかかったみたいに見える。
  
  花の盛りの週末に、公園の隅で近所のおじいさんが二人、椅子を持ってきて座っているのを見かけた。足元にはブルーのシートが大きく広げられていて、トランジスタラジオからAM番組が小さく流れている。
  正午すぎであったが、二人のおじいさんは満開の桜の下でお弁当を広げるでもなく、ただ無口で座っていた。
  お花見の場所取りをしているのだろう。シートは二人分では広すぎる。
  おそらく、夕方になって勤めに出ている人たちが帰って来たら、そこで宴会が行われるのだろう。おじいさんたちは、「良い場所」を日中のうちに確保するために、今からそこにいるのだ。

  わたしは、ベビーカーを押して買い物の帰り道だった。

  これから、小学生と中学生の娘たちにお昼ご飯を作らねばならない。
  中学生の娘は部活見学に行きたいそうだし、その時間に間に合うように、それから、末っ子にも離乳食を食べさせておかなくては。
  一分の時間でも惜しいようなどたばたの中で、桜の下で何をするでもなく座り込んでいる人たちの、なんとうらやましいこと。

  退屈そうではあるけれど。

  宴会を「待つ」身と考えれば、それはとても無為な時間、
  でも、桜の花たちと一緒に日が高くなり、また暮れていく時間をのんびりと過ごせると考えれば、なんて贅沢な時間なのだろう。


  今日は一日じゅう雨だった。
  桜の木々は、桜蕊を地面に散らしながら、青葉を雨に洗われている。
  花見の季節は終わり、公園からハレの日は遠のいた。

  いつか、年老いたらわたしも日がな一日、何時間もゆらゆらと桜の下で過ごしてみたい。
  できたらそのまま息絶えたり・・・
  あ、そんなことになったら後から来た人たちは花見ができないか。
  

コメント

みかりん
2010年4月27日7:49

来年の桜の季節には息子ちゃんも公園遊びをするようになり、ベンチで腰かけ、文庫本を片手に息子を見つめてるくらり音子さんが想像できるわー。

くらり音子
2010年4月27日13:03

みかりんさま。
ふたたび相互ありがとうございます。

来年の春・・・
うちの息子は頭が大きくてよく転ぶので、公園でもさぞ転びまくることでしょう・・
わたしはますます運動神経おとろえ気味だし、追いかけるのに必死かな(涙

来年は、島の桜を見に行きたいな♪

美歩
2010年4月28日12:07

おかえりなさい。
相互させていただきました♪

私は桜の花もいいけれど、葉桜が生まれて繁ってくる今頃も好きです。
散らないという安心感があるからかな。

くらり音子
2010年4月28日13:12

美歩さま。
ありがとうございます。
またお話できて嬉しいです♪

「散らないという安心感」そうですね。わたしもそう思います。
満開のときは、いつ散るかわからないからしっかり見ておかなくては、なんて、知らず知らずのうちにあせっているのかも。

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